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By M. Hashimoto

矢立はじめ --- 千住

深川を出発した芭蕉が船をあがって歩き始めたのが千住。隅田川に初めて架けられたのが千住大橋ということですが、今でも上がり場として名前が残っているところをみると、上陸したのは当然ながら川の北千住側だと思われます。今回は南千住の付近を歩いたのですが、かつて小塚原の刑場(首切り場)があったせいか、周りにお寺が多く、「死」にまつわる史跡が多く残っていました。
2008年4月12日
行く春や鳥啼魚の目は涙 


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日光街道の千住大橋の手前にある素盞雄神社。芭蕉が旅立った春(実際は陽暦で5月16日)を思わせる暖かな日だったせいか、訪ねてくる人がけっこういました。


東京メトロ日比谷線の南千住駅を出た正面にあるのが、小塚原の回向院。刑場で処刑された多くの人(220年あまりで20万人以上でとか)を弔うために建立されたお寺で、境内には安政の大獄で処刑された志士の墓や、杉田玄白や前野良沢らが刑場の死体を解剖して「解体新書」を著したことを記念した碑が壁に埋め込まれています。
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「解体新書」の記念碑
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1963年に起こった吉展ちゃん誘拐事件の被害者である村越吉展ちゃんを慰霊する地蔵が入り口に立てられていました。村越家は回向院の檀家ということだそうです。
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小塚原の刑場跡に建てられた首切り地蔵。鉄道工事で当時と少し場所が変わっているようです。
南千住の駅付近も再開発が盛んで、次々と高層のマンションが建てられています。
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素盞雄神社の祭神は瑞光(ずいこう)石と呼ばれる石だそうで、近所には瑞光小学校もありました。菊桃という細長い花びらの桃がピンクの花を咲かせていました。
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神社境内にある芭蕉の句碑。もちろん「行く春や〜」です。
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神社の横を進むと、かつて東京スタジアムのあった場所があります。大毎オリオンズ(現・千葉ロッテ)の本拠地だった球場で、現在は草野球場とスポーツセンターとなっています。
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日光街道が隅田川を渡る千住大橋。現在の橋は、昭和2年に架けられたアーチ型の鉄橋(下り方向)。右側に登り(上野)方向の橋がある。
千住大橋北詰にある矢立初めの碑。以前、草加へ行ったとき、奥の細道に縁のある自治体が集まる“サミット”があることが史跡の説明に書かれていましたが、この碑は開催記念で建てられたようです。
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千住大橋の北側に描かれている芭蕉と曾良の絵。与謝蕪村が描いたもの。ここは足立区ですが、芭蕉の奥の細道をかなり意識しているようです。
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千住大橋から見た隅田川下流方向。芭蕉一行が川を上がってきた方向です。工事のせいか、水は濁っていました。
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日光街道を上野方向に戻ったところにある円通寺。曹洞宗のお寺ですが、門を入ってまず目にはいるのが、正面のビルのような建物の壁面に建てられた黄金の仏像。ここは明治維新の江戸開城の際、上野に立てこもって官軍と戦った旧幕臣の遺骸を弔ったお寺で、当時の激戦の跡が残る黒門が移設され、銃弾の跡が今でも見られます。
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円通寺を出てさらに上野方向へ進み、常磐線のガードをくぐってすぐ左に曲がると浄閑寺があります。ここは安政の大地震の際、犠牲となった新吉原の遊女たちの遺体が投げ込まれたと伝えられたことから「投込寺」とも呼ばれ、本堂裏には遊女たちの慰霊碑や永井荷風の詩碑があります。
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